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スキルアップ

野村証券と通信アダプタを開発、ゲームは断念

1987年夏、任天堂の開発第二部部長の上村雅之(敬称略、以下同)に、同社社長の山内溥から1本の電話が入った。用件は「ファミコンを使ったネット ワークを野村証券と共同開発することを検討せよ」という指示だった。「四国の講演で、社長が野村証券の人と同席した。その場で、ファミコンを使ったネット ワークを共同開発しようという話になったようだ」(上村)。

スーファミに引き継がれたROMカートリッジ

任天堂は,1985年11月にファミコン用周辺機器の「ディスクシステム」を1万5000円で発売した。ソフト供給媒体をマスクROMから安価なフロッピー・ディスクへ移行させることをねらった。

ファミコン誕生、家庭用ゲーム機の代名詞に

ファミリーコンピュータ(ファミコン)本体の仕様検討は1982年10月ころに始まった。このときすでにLSIの仕様はほぼ確定し、機能の検証やソフト開発に使う試作機は出来上がっていた。さらにソフト開発ツールの準備も進んでいた。

マイコンの謎、正体知るまでライバルは1年かかった

業務用ゲーム機「ドンキーコング」の回路を母体として、ファミリーコンピュータ(ファミコン)の開発が始動した。外観デザインなど具体的な製品イメージのないまま、リコーと共同でLSIの開発を始めた。CPUには、リコーがライセンス権をもつ米Rockwell社の8ビット・マイコンの6502を採用した。業務用ゲーム機のソフト開発で Z80に慣れていた開発スタッフには、当初戸惑いがあった。そこへ、6502を知りつくしている新入社員がスタッフに加わり、開発ピッチが加速していった。

ギャラクシアンの衝撃、ドンキーコングでよみがえる

焦点を当てた携帯型ゲーム機の「ゲーム&ウォッチ」がヒット商品になろうとしていたころ、任天堂の開発第二部は業務用ゲーム機の開発に手を染めていた。ところが 1981年に開発した「レーダースコープ」が不発に終わり、大量の在庫を抱えてしまう。ハードウエアをなんとか生かそうと社内公募でアイデアを募り「マリオ」が登場するドンキーコングが生まれた。このドンキーコングの回路がファミリーコンピュータ(ファミコン)の母体となった。ファミコンの開発は1982年の春にスター卜する。