上司の言葉で気付いた「もう1つのデザイン」 菅順二氏(竹中工務店 常務執行役員)、その1〔若き日の葛藤編〕

竹中工務店の菅順二氏は、知的生産性の向上と高い環境性能の両立を図るオフィスの設計を多く手掛けてきた。2011年に竣工した「明治安田生命新東陽町ビル」では、建設会社設計部の単独設計としては約50年ぶりに日本建築学会賞(作品)を受賞した。そんな菅氏が実務者としての第一歩を踏み出したのは、基本設計段階で配属された「有楽町センタービル」の設計室。ときに上司と正面から議論しながら、デザインに対する思い入れを貫いた。(全3回のうちの第1回)

大学とは逆方向の実務教育に新たな刺激

 当時の竹中工務店では、入社1年目の研修期間は大阪本店に集められ、設計部や見積部、作業所を4カ月ずつ経験しました。2年目の1982年春に東京へ戻り、「有楽町センタービル」(通称:有楽町マリオン、第1期1984年竣工)の設計室に配属されました。

菅順二氏。「研修時代の1年は、設計部、見積部、作業所の順に体験し、建築が具体的にどう組み上がっていくかというプロセスを1つずつ覚えていくことができた」。見積部で鋼製建具の値入れをした際は、協力会社に「エアタイトはつけなくていいのか」と聞かれ、慌てて調べて扉の気密機能について学んだことも(写真:花井 智子)

 まず模型づくりを担当し、各階の平面を重ねた重箱形模型などを作成しました。その後、やっと図面を任されるようになったと思ったら、トイレの担当。竹中の設計するトイレになっていないと言われながら、来る日も来る日もトイレのレイアウトを描きました。こうした日が続くうちにしびれを切らし、直属の課長だった臼井真さんに「デザインをやりたい」と訴えたのです。すると「今やっているのがデザインではないか」と諭され、あっと思い至るところがあって言い返すことができませんでした。

 大学時代に自分がやっていたことと、実務で今やるべきこと、学ぶべきことの違いに、課長のそのひと言で気付いたのです。

早稲田大学の学生時代から、菅氏は周囲に実力を認められる存在だった。鉛筆で陰影を付けた緻密な図面表現を得意とし、上級生の課題の手伝いでも活躍した。卒業計画では、当時最優秀作品に与えられた村野賞の有力候補。八ケ岳山腹に縄文遺跡と考古学の博物館・学会施設を設ける計画をまとめ上げ、最優秀は逃したものの次席に食い込んだ。

 
大学時代の卒業計画「VALLEY IN OPPOSITION」の3階平面図と模型写真。図面は、鉛筆仕上げ。八ケ岳山腹の斜面形状を生かした計画(写真:菅 順二)

 大学時代の課題では、自分でテーマを設定し、社会的背景や土地の歴史や風土など関連事項を調べながらコンセプトを組み立て、設計を進めていくという教育を受けていました。いわば俯瞰(ふかん)的なつくり方です。それに対して実社会での設計教育は、大学とは逆方向のものでした。トイレや鉄骨階段のモジュール、人間行動の寸法体系、材料の選定、ディテール工法など、部位の教育を積み重ねていく。これもデザインだと思い至ったのです。

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