「組織のベール」を自ら剥がして学会賞受賞 菅順二氏(竹中工務店 常務執行役員)、その2〔ブレークスルー編〕

1980年代後半、プロジェクト全体を担当するようになった菅順二氏(竹中工務店)は、バブル経済の追い風もあって、外観や内部空間のディテールに徹底的にこだわった実作を生み出していく。一方で、建設会社設計部という立場の見られ方に違和感を抱き、また、仕事の巡り合わせが良くないという時期も体験した。40歳代後半になって手掛けた竹中工務店東京本店新社屋の設計は、そんな菅氏にとって大きな転機になった。(全3回のうちの第2回)

「外から認識されない」もどかしさ

 組織でもいわゆるアトリエ設計事務所でも、1人の設計者として建築に取り組むこと自体には変わりはありません。

1992年、旧第3ディックビルを担当していたころの菅順二氏。初めて全体を担当したプロジェクトに対して雑誌社から「インテリアがない」と評されたことに発奮した菅氏は、その後、南青山ビルや旧第3ディックビルなどで室内空間のデザインにも注力していく(写真:菅 順二)

 ただし組織の場合、自分の名が出るのは雑誌に載せることになった作品につける設計趣旨文章の文責者名程度に限られます。自作を見てもらった大学時代の友人には、「竹中工務店にいて外でも評価されるには、ハードルが高くて大変だね」と言われました。組織のベールで覆われた中にいると、個人として取り組んできた設計活動の一連性を外部から認識してもらうのが難しい、というもどかしさを感じたこともあります。

菅順二氏は30歳代だった1980年代半ばから90年代半ばにかけて、「南青山ビル」(90年竣工)や旧「第3ディックビル」(94年竣工)などの設計を次々に手掛けた。ディテールに徹底的にこだわった菅氏の建築は、「新建築」誌の誌面を何度も飾る。そうしたなかでも菅氏は、「組織の人」として区別して見られることに違和感を覚えていた。

 
南青山ビルの透視図と外壁ディテール。透視図は計画時、設計部意匠課に在籍していた山岸和浩氏が描いたもの。外壁は、厚さ120mmのしっくい調の白壁とメタリックグレーの壁面を幾何学的に重ね合わせた。白壁の端部は、施工精度の向上や汚れ防止のためにアルミのフラットバーで押さえている(資料:竹中工務店)
 
南青山ビルの和室とそのディテール。壁面部分は、柱と鴨居の軸組を厚さ35mmのパネル状の左官壁で挟み込む構成とした。「幾何学パターンの面的重合」という建築全体のデザイン表現を和室に展開したもの(資料:竹中工務店)
 
旧第3ディックビルの外観。ガラスとアルミパネル、花こう岩による横連窓。L字形の図形を反復したデザインとし、正面右下に下っていく前面道路の勾配に対抗して水平を強調した。自然排気窓上部のアルミルーバーをウオールスルー空調機の吸気ルートに活用している(写真:小川 泰祐)

 仕事の巡り合わせの浮き沈みも出てきます。私自身、思うような仕事が回ってこなくなった時期もありました。

 そうした時期を経て、設計課長になったのが01年。今はグループリーダーと呼んでいる職位です。それまでは後輩1人か2人と組んでプロジェクトを担当していたので、1年か2年に1つの作品しか竣工しませんでした。でも課長になると6人から8人の部下ができて、小事務所の代表のような立場になります。課員とともに、自分の作品として年に5、6件を同時並行で動かせる。あるプロジェクトでできなかったことを別のプロジェクトで生かすなど、設計活動の枠が広がってがぜん面白くなりました。

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