じっくりと建築を楽しめる環境を求めた 堀部安嗣(堀部安嗣建築設計事務所)、その1〔若き日の葛藤編〕

はやり廃りとは無縁に、落ち着いた家をつくり続けてきた建築家の堀部安嗣氏。だが、実はバブル経済期、前衛的な建築が次々と建ち上がっている頃に学生時代を過ごしていたバブル世代だ。同時代の建築業界をどう見ていたのか。また、そうした風潮のなかで、どのようにして自分の作風を切り開いていったのか。下山眞司氏、安藤邦廣氏、吉村順三氏、そして師となる益子義弘氏との出会いが、世間の風潮に流されない、信念を築いた。(全3回のうちの第1回)

堀部安嗣氏(写真:鈴木 愛子)

僕にとって「温故知新」は当たり前だった

 実は僕は大学生のとき、建築家になろうという気持ちを、ほとんど持っていませんでした。ものづくりに携わりたい、と漠然とは思っていたのですが、1つの何かを深く追求しようと思えるほど、まだ自分のなかにはっきりとしたビジョンが見当たらなかったのです。専攻も建築ではなく、環境デザインという分野で、ランドスケープ、公園、まちづくりなどを中心に広く学べるところでした。少し建築学科の授業を取ることもできましたが、そのくらいしか、最初は建築に接していませんでした。

堀部氏が大学生だったのは、バブル経済期の1980年代後半。建築雑誌を数々の前衛的な作品がにぎわしていたが、その風潮にはなじめない、と感じていたという。

 当時の建築学科の先生は、伝統構法に対する深い造詣と興味を持たれている下山眞司先生や、古い民家や蔵などを研究されている安藤邦廣先生などでした。そういう世界に共感して授業を聞いていましたので、僕にとって、建築が温故知新なのは、当たり前のことだったんです。建築雑誌を見ると、確かにギラギラした建築が載っていましたが、僕の周囲とはかけ離れていましたし、あまり興味もありませんでした。

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