若気の至り、巨匠に押しかけ進路相談 丹下憲孝氏・丹下都市建築設計会長、その3〔失敗に学ぶ編〕

「ボンボンだった」。丹下憲孝氏は、若いころの自分をそう評する。事務所に入ってからは、丹下健三氏の叱咤(しった)を幾度も受けた。「本当にこれで良かったのか」と常に自問する父の姿は、現在の憲孝氏にも受け継がれている。(全3回のうちの第3回、この回のみ日経アーキテクチュア購読者限定)

進路相談にフィリップ・ジョンソン氏を訪ねる

 学生時代までの家族旅行といえば、世界を駆け回る父の出張に付いていくものでした。サウジアラビアの国王宮殿やクウェート国際空港などを設計していたころには、中近東をしばしば訪れました。しかも会うのは名だたる人ばかり。ファイサル国王とプールで一緒に泳いだのは私くらいではないでしょうか(笑)。建築家が経験する良い面ばかりを目にしていました。

丹下憲孝氏(写真:花井 智子)

 米国のハーバード大学在学中は、ハーバードの大学院に行くかどうかを決めかねていました。父は海外の大学事情に詳しくないだろうからと、訪ねたのがニューヨークのフィリップ・ジョンソン氏です。ジョンソン氏は事務所近くにあるフォーシーズンズというレストランに自席をもち、そこで毎日ランチを取っていました。父もニューヨークに滞在するとフォーシーズンズで食事をすることが好きで、その際には常にジョンソン氏から声を掛けられるといった交流がありました。

 私はジョンソン氏の事務所に軽い気持ちで電話をかけ、事務所を訪問しました。ところがジョンソン氏には「イエールやハーバードの卒業者のように建築を勉強した人は事務所ではいっさい雇わない。必要なのはコーニスの詳細図を描ける実務者だ」と言われ、残念ながら参考になりませんでした。

 結局、ハーバード大学デザイン大学院(GSD)だけに願書を提出しました。ほかの候補はありません。ちょうど近隣のハーバードスクエアが工事中だったので、もし落ちたら働きながら浪人すればいいか、などと考えていました。

 願書提出から発表までの間には、ハーバード大学院(GSD)の大先輩である鹿島昭一・鹿島取締役相談役(現)を訪ねました。そして図々しくも「ハーバードがだめだったら御社で1年間働かせていただけませんでしょうか」とお願いしたのです。さすがに返事はありませんでしたが(笑)。

 思えば、私はボンボンでした。お忙しいお2人が1学生の私に時間を割いてくださるのは、丹下健三の息子だったからです。若気の至りとはいえ無鉄砲で、いかに世間を知らなかったことか。赤面する思い出です。

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