雨漏りを招いた「抽象化」という錯覚─山本理顕氏(前編)

山本理顕氏(山本理顕設計工場代表、名古屋造形大学学長)、その3〔失敗に学ぶ編〕

 山本理顕氏は1973年、ほとんど実務経験がないまま事務所を開設した。それでも仕事の依頼が舞い込み、次々と実現した。いずれも試行錯誤。なかには失敗もある。当時の仕事を改めて振り返ってもらった。

山本理顕氏(写真:川辺 明伸)

 ほとんど実務経験がないなかで事務所を開設した山本氏。初期の仕事はどのように実現していたのだろうか。

 例えば「窪田邸」の場合、「新建築」(1978年8月号)には、「山本理顕、立花正明、元倉真琴(協力)」と書いてあるけれど、実際は元倉にほとんどやってもらった感じ(笑)。元倉は、東京芸術大学大学院での同級生でしたが、当時、槇総合計画事務所を辞めたばかりで、僕の事務所の一部をシェアしていました。

 元倉はヒルサイドテラスも担当していましたから、実務経験が十分にあったんです。しかも、槇事務所でアルバイトをしていた立花をスタッフとして紹介してくれて、設計は元倉に教わりながら、進めました。「打ち継ぎ目地というものがあるんだ」と諭されると、「できれば、その目地を消したい」などとわがままを言いながら(笑)。

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